9/16(日)は仙台天命塾での講演会 第18章

タイトル 『浮上するシリウスと本物の縄文スピリット』

【概 要】
世界がなにやらザワついている。
何がどうして誰がなんでザワついているのかおわかりだろうか?
今は亡きあるプリンセスはパリ16区で散った。
その魂は現場の頭上にあるアルマ橋のフラム・ドゥ・ラ・リベルテ(自由の炎)を通じて、
ニューヨークの弁天島にある「本体」に入った。
これこそまさにニューヨークの「瀬織津姫」が起動した瞬間だった。
これが2013年8月10に宮城県「仙台天命塾」にて行った講演会
『瀬織津姫と新世界秩序』であり、
2013年9月7日に福岡県・警固神社にて行った『女神の魂』の根幹だ。
この時、一体誰がトランプ大統領の登場など想像しただろうか?
「ニューヨーク」とは「新しいイチイの木」という意味。
「イチイの木」は別名「アララギ」であり漢字では「阿良羅木」と書く。
「阿良羅木」とは「古代の聖なる神の宿る木」という意味。
「古代の聖なる神」とは封印された縄文神アラハバキのことである。
つまり、「ニューヨーク」という地名は「新しいアラハバキ」という意味となる。
さらに「アラハバキ」=「瀬織津姫」なのだから、つまりニューヨークとは――、
「新しい瀬織津姫」という意味となる。
そして、2017年1月20日、ドナルド・トランプ氏が第45代アメリカ合衆国大統領に就任した。
私はトランプ大統領が登場する4年前にすでに
「ニューヨークから瀬織津姫が現れる」と言っていた。
まさか、このような形で「登場」するとは夢にも思わなかった。
ニューヨークの弁天島にある「本体」は今まさにトランプ大統領に感応している。
トランプ大統領によって浮上した「サイレント・マジョリティ」は縄文スピリットと呼応し機能する。
この予想外の展開に慌てたアノニマスは急遽「QAnon」に対し宣戦布告した。
しかし残念ながら、アノニマスにはその「敵」とやらの正体は見抜けない。
なぜならば、その「敵」とやらは「サイレント・マジョリティ」、つまり「肉眼では見えない」からだ。
サイレント・マジョリティにすべての霊的啓示をもたらしている
「Redeemer」も同様に肉眼では見えない。
――さあ、これから日本は、世界は、地球は、宇宙はどうなるのか?
誰も知らない、私も知らないことを、知らないまま私はお話しなければならない。
今、世界では誰と誰が戦っているのか?
今、世界では国と国ではまったく戦ってはいない。
いくらネットを探しても、いくら検索しても見つけることのできない、
「ザワついていることの真相」をお話しできたらな、と未知の内容に照準を定めました。
(何を話すのかは私も知らない)
****************************************
今、世間ではなんと「縄文ブーム」なのだそうです。
あれ? それってでもおかしくないですか?
縄文の、その謙虚で奥ゆかしく、そして横溢する霊力と官能の世界に嫉妬した
弥生勢力が、支配欲と権力欲と主従関係と稲作と農業を持ち込んで、
縄文をさんざんイジメて駆逐していったのが現代社会でしょ?
現代社会は「弥生社会」ですよ!
何、突然、「縄文」とか言い出しているのでしょうか?
「縄文JAPAN」とか新聞広告で謳われていますが、
「縄文」と「JAPAN」には何の関係もありませんですよね。
ましてや「縄文」と「日の丸」など縁もゆかりもありません。
(じつはあるのですが)

この新聞広告がいかに欺瞞に満ちているか理解していただきたい。
「日本」という国名が制定されたのは白村江の戦いの後「670年」前後です。
それ以前は「日本」という国名も概念もなかったわけです。
なのに、なぜ「縄文JAPAN」などというウソを新聞広告にまで出すのでしょうか?
縄文は、弥生に侵略され、さらに後に、
白村江の後に進駐してきた渡来人の大和朝廷によって
上乗せされて支配されたのです。
そのはるか後に、榎本武揚率いる賊軍の艦隊が「日の丸」を掲げ、
それを攻めた官軍の艦隊が「菊の御紋」を掲げたわけです。
明治維新以降、日本国民を支配する旗印は「菊の御紋」です。
パスポートを見てください。
どこに日の丸がありますか?
あるのは「菊の御紋」でしょう。
戦艦大和の艦首に「日の丸」なんかありませんでした「菊の御紋」です。
では「日の丸」って何でしょう?
このようなことをじっくり考えていくのが「大樹界」です。
「日の丸」は東北縄文日高見国の旗印であり、明治維新賊軍の旗です。
元々この列島に居住していた原住民の旗印を大和朝廷が奪い、
そして、明治新政府がそれを継承し「日本」を偽装したわけですよね。
この新聞広告はそのようなことをすべてスルーした上でのデザインですよね。
幻想の「大和民族」、虚構の「大和魂」を鼓舞するための国威発揚の企図を、
「縄文」という甘言に託けて言いくるめようとする
極めて邪悪な手法と言わざるを得ません。
この新聞広告は「弥生」による偽装工作に他なりません。
「縄文JAPAN」を推進しているのが「弥生一派」だということです。
ひとつ間違うとすべて間違えます。
さて、今、方々で「縄文縄文」と言っている人たちはみな農業を重視します。
縄文と農業はまったく関係ありません。
人間は生物学的に「肉食動物」です。
ベジタリアンは「弥生」の思想、もしくは仏教系の宗教思想でしょ。
「縄文は素晴らしい!」という人たちがいることは理解できますが、
ならばそれと同時に「弥生最高!」という人たちがいてしかるべきでしょう。
しかし、「弥生こそが最高!」などと言う人はひとりもおりません。
おかしくないですか?
これはつまり、「縄文は素晴らしい!」と言っている人たちの中の
かなりの割合が、じつは「弥生による偽装」であるということです。
そんなに縄文派はいませんし、そもそも縄文派は弥生に侵略されたわけです。
つまり、今、「縄文縄文」言っている人のほとんどが、
「弥生による縄文偽装派」だと思われます。
弥生派の人たちは意図的に「縄文最高」と語りますが、
彼らは「本物の縄文」というものに人々が開眼することを阻止するために、
わざと「事実と違うニセモノの縄文」を目立つように提示し、
それこそが「本物の縄文」であると誤解させるために、
ディスインフォメーションを猛烈に拡散させているのです。
彼らは稲作や農業を推進しますし、群れを成してグループやコロニーを作りたがります。
群れるから「ムラ」となるのです。
「ムラ」とは「ムレ」のことなのです。
縄文は群れません。誰にもまつろわないし、まつろわせないのです。
みんなで一緒に麻の服を着ましょうだとか、
そういった不気味な均質化を企図した弥生思想はそもそもありません。
麻の服を着たら縄文だなんて気色悪いことを弥生派は言います。
みんなで同じ服装をしようという「ユニフォーム」は弥生思想の最たるものです。
彼らは弥生人なのですから、最初から「弥生最高!」って言えばいいじゃない。
なぜ言わない?
言わないどころか、ベテランの縄文派を気取るでしょう。
本当の縄文は、南から侵略してきた稲作弥生勢力から逃げ、
こんどは北から侵略してきた稲作弥生勢力から逃げ、
最後は諏訪しか残っていなかったのですよ。
イジメられて追い詰められて、侵略されて、脅かされて、
最後の最後に残ったのが諏訪周辺だったわけですよ。
今、縄文を偽装し、八ヶ岳に巣食っている
「本当は弥生なのに縄文を偽装しているスピリチュアル派」は、
金輪際、諏訪、八ヶ岳、茅野を「縄文の名」で荒らさないでいただきたい。
長州のどこかにでも「弥生村」とか作ってそこに移って活動していただきたい。
私が言いたいこととは、ひとつです。
「縄文」を装っている弥生派が凄まじくたくさん存在しているということです。
私が「この人は本物の縄文だ」と思った人、団体、グループはひとつもありません。
――「ゼロ」です。
ひとつもないのです。これはきわめて重要なことです。
縄文はコミュニティを作ったり、グループを作ったり、不動産を売買したり、
一部の「神官」が偉くて、他の人たちはそれに従うとか、そんなことはしません。
ましてや、おそろいの麻の衣装など着るわけがないのです。
偽装縄文コミュニティに入れば、なぜか麻の服を着なければいけないかのような
異様で不気味な同調圧力が働いているわけですよ。
縄文を復活させたいのではなく、麻の服を販売したいのでしょ。
付和雷同と縄文は相反する思想哲学です。
縄文は「なんでも自由に好きなものを着ればいいんじゃないの?」です。
ですので、麻の白装束などで神官みたいなカッコウをした人たちが
それでもって「縄文」を自称しているとするならば、
または、周囲の人たちにそれを暗に強制しているのであるならば、
「あー、完膚なきまでのニセモノだわ」と思って良いと思います。
(※この表現が日本語的に合っているのかどうかはひとまず置いといて)
彼らはニセモノであるだけではないのです。
彼らは「弥生」です。
本物の縄文は「ひとり」と「ひとつ」が均衡することを知っています。
だから、寂しさがありませんから、群れることがないのです。
ニセモノの弥生は、とにかく群れて会員を募り、物理的な居留区を提示し、
「ここに住めば救われますよ」と、移住をすすめます。
団結を呼びかけ、人数の多寡がモノを言い、ネットワークとコミュニティを重視します。
それは物質主義であり、唯物主義であり、偶像崇拝です。
また、「出会い」と「ご縁」と「前世からの繋がり」をやたらと重視します。
前世から何も成長せず、何も学ばず、同じ事を繰り返しているから、
今生でも前世とまったく同じことを繰り返すために「ご縁」がやたらとあるのでしょ。
本当に成長した人は、今生では一切のご縁など存在しないのですよ。
本当に成長した人は、今生で出会う人すべてが「ご新規様」となるはずです。
「ジョン・タイター岡京神話」ならこのたびぶっ潰しましたのでお知らせいたします。
(※岡京神話は岡山タタラ製鉄百済サンカ支配層が拡散した洗脳情報)
(※タタラはタタール人のこと)
弥生は、クリスタル・ボールを鳴らしたり、神社めぐりをしたり、祝詞をあげたりします。
練習せずに出来るような楽器らしきものを人前で演奏してお金を頂戴してはなりません。
これは聴衆が言わなければいけません。「そんなんで金取るな!」と。
練習せずに誰にでも出来るような楽器で
人様からお金を取ることは「恥ずべきこと」です。
神社は弥生が作って支配のために創設したものです。
私も神であり、あなたも神であり、私も宇宙であり、あなたも宇宙であるならば、
どうして神社の鳥居で一礼して、手水で清めて、
神様とやらに頭を下げなくてはならないの?
おかしいですよね。
神社の鳥居の前で、いきなり「罪人扱い」っておかしいですよね。
なんで私たちは神社とやらに永遠に頭を下げ続けなければいけないの?
この神社システムっていうのは支配と服従と隷属の弥生思想そのものでしょう。
私と、その神様とやらが「いると仮定するならば」それは対等であるはずです。
(※そこに本当に「いれば」の話しですが)
私たちはそもそも穢れてなどいませんから、手水で清める必要もありません。
縄文サンカはハンセン病患者を差別せず、身をもって接しました。
ハンセン病患者は穢れていると差別したのは弥生でしょう。
縄文には「穢れ」という概念はないのです。
縄文は、この社会でもっとも弱い人たちに寄り添います。
物理的な身体は弱いかもしれません。経済的に弱いかもしれません。
しかし、彼らの心の中にも巨大な「意思」「叫び」があるのですよ。
声無き声に耳を傾ける――サイレント・マジョリティとは「縄文」のこと。
「穢れ」とは弥生が持ち込んだ差別思想だと思います。
弥生は「ノイジー・マイノリティ」。
中身は無いが声だけは大きい。
ここからが神域で、ここからは穢れていますっておかしくないですか?
家に境界線を設け、囲いを作り、自他を分け、
所有の概念を持ち込んだのが弥生です。
つまり、神社とは弥生人による侵略性の象徴なわけでしょう。
弥生がもたらした農耕によって、人々は安定を手に入れました。
その代わりに、自由と独立を失った。
穀物の大量生産は、人々に安定をもたらし、
飢えからは解放されました。しかしそこに主従関係が生まれた。
雇用者と、被雇用者が生まれた。
縄文人は、己も周囲もすべてがぜんぶ宇宙だとわかっているのだから、
神社に行く必要などありませんよね。
目の前の道路、人々、街、すべてと自己同一視することを自然としていたわけでしょう。
神社で祝詞をあげたりなんかやっている人たちはみんな「弥生」でしょう。
じゃあ、ちゃんと自分のことを「私は弥生です」って言いなさいよ。
しかし自分こそが縄文であると思って疑わないわけですよね。
しかしそれは「弥生」です。
弥生派の人たちは、ちゃんと自分たちのことを弥生派だと言うべきです。
本当は弥生派なのに、麻の服を着て「縄文!」とか言わないでいただきたい。
これはみなさんもいわなきゃダメですよ。
「そんなお揃いの麻の服着て悦に入っているということは、さては弥生だな!」と。
縄文は、この宇宙すべてが私であり、私の中にすべてがあり、
頭上にきらめく天空は私の中の投影であることを自然に体得していたのでしょう。
これが「みかん」と「逆みかん」の関係です。
私は「みかん」であり、天空の星空は「逆みかん」が投影されたもので、
その「逆みかん」のすべてはしかし「私の中にある」というパラドックスです。
「有限なのに無限」、「無限なのに有限」というメビウスの宇宙真理です。
****************************************
――そんなこんなをひっくるめた上で、9/16に仙台でいろいろお話しします!
ぜひみなさん、お誘いあわせの上、ご参加ください。お待ちしております。
****************************************
詳細は、仙台天命塾の公式サイト http://genkiup.net/ に近日中に
掲載されますのそちらをご確認の上、必ずご予約してご参加ください。

投稿者: 澤野大樹

情報誌INTUITION の執筆者です。 2018年で創刊22周年となりました。