2019年2月17日(日)澤野大樹 名古屋講演会 第4回

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★タイトル 『 2019年!神仕組“Redeemer”の超計画 』
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これまでの世界は「ひとり」だけが目指されてきた。
それはグローバリズムとも呼ばれ、世界人類の均質化が画策されてきた。
その根底にあったのは「自分以外すべてが敵」という考え方だ。
均質化されたグローバル社会においては、特異性を放つ存在は排除される。
排除されるにあたって、人々は互いに監視し合い、密告が横行する。
そんな社会は国家間においても同様の行動をする。
同じルール、同じ規範、同じ法律、同じ価値観、同じ趣向、同じ考え。
しかし、そんな均質化も安全、安心、便利、平和、合理性という
仮面を纏って美名の下に伝播される。
「ひとり」でありながら均質性を求められるということ。
これは精神的に非常に厳しい厄介な状況を生み出す。
「ひとり」ということは、三次元現実世界のみを世界とする考え方だ。
あなたはたったひとりであり、隣の人、周囲の人たちはすべて他人である、となる。
だから、たったひとりであるあなたが幸福を勝ち取るためには、
隣の、そして周囲の人たちから富を奪い取り勝ち残っていかなくてはならない。
さあ、この世は競争であり戦争であり闘いであるのだ。戦え!相手を打ちのめせ!
こうして、私たちはお金持ちになり勝ち残り生き残るという「夢」を見させられた。
「ひとり」を強調するということは、自己と他者を明確に区別すること。
だのに、「孤独死は悲しい」という嘘が拡散される。
この世に孤独でなく死ぬ人などただの一人も存在しないのに。
そして、人生を終えるまでひたすらに「ひとり」の中で寂しさに苛まれ、
“癒し”を求め彷徨い続ける。
――そう、「ひとり」というのは、私たちが生きる世界とはこの三次元現実世界にしかないのだ、
というニセ情報によるものだった。
そして、「死んだら終わり」「人生は一度きり」と、ニセ情報はさらに上乗せされる。
私たちは、死んだら終わりだと思うから、生きているうちに好き放題の限りを尽くそうとする。
好き放題に生きることは悪くはないが、ただし、この場合、
己の勝ち残り、生き残りのために他者を犠牲にしていくという「好き放題」を意味する。
人生は一度きりなのだから、旅の恥はかき捨ての如く、人生の恥はかき捨てだと誤解する。
「ひとり」として人生を謳歌するということは、
それはつまり「来世を担保に入れない人生」を送るということだ。
その「ひとり」とは、物質としての身体であり、お金であり、
それは確実に刹那的で即物的な生き方を選択させる。
その生き方は、いつの間にか現在の社会にとって、
そして国にとって推奨すべき「理想の生き方」のモデルとされるようになった。
なにせGDPも上がるし前年同月比プラスに働くからだ。
――そう、この社会においては、人々が「ひとり」であることが最大限に奨励されるのだ。
「ひとり」は、常に不安を呼び、欠乏を感じさせ、寂しさに苛まれながら、
それを解消するために、持てる資産をその穴埋めに使い切らなければいられない。
恐怖と欠乏と不安と寂しさは需要を生み、経済が活性化される。
そのような「奨励される来世を担保に入れていない生き方」は、
傍若無人な欲望の実現を惜しげもなく最大限にまで発揮することが望まれ、
それが人として成功したことの象徴であるかのように喧伝されてきた。
しかし、本当のところはそうではなかったわけだ。
私たちが生きる三次元現実世界は、世界のすべてではなかった。
わかりやすく身近な例をひとつ挙げるなら、
眼球という「鏡」を触媒として、眼前に見える三次元世界と、
眼後の脳裏に思い描かれる多次元世界とにはっきりと分かれている。
多次元世界、意識世界、非物質想念世界は「ひとり」ではなく「ひとつ」だ。
そこは肉体が存在しない世界なのだから、人類全員の意識領域が共有されている。
この領域では「ひとり」は存在しないし、「時間」も存在しない。
すべてが「ひとつ」の中に包含されている。
ならば、私たちは、眼前の「ひとり」と、眼後の「ひとつ」の両方を同時に持っているということだ。
両者は眼球という「鏡」で触媒され、均衡が図られている。
つまり、これだけを見ても、私たちは「ひとり」だけではなく「ひとつ」でもあるということがわかる。
私たちは「ひとり」なのではない。
私たちは「ひとつ」なのでもない。
「ひとり」であり「ひとつ」なのだ。
世の「陰謀」の最奥はフリーメーソンやイルミナティではない。
三次元物質世界と多次元想念意識世界の接続が切断されている事実がそれだ。
これが世界最大のタブーだ。
三次元物質世界と多次元想念意識世界が等しく健全に均衡してしまうということは、
“彼ら”がイギリス産業革命以降に作り上げた「現世界」の崩壊に繋がるからだ。
私たちはこれまで「たったひとり」にされて、どこかの誰かの夢の実現のためのエキストラとして、
「すべての秘密を知っている」という、知らないどこかの誰かの多次元想念意識世界の
「ひとり」と「ひとつ」の均衡形成のための奴隷とされてきたのだ。
私たちが必死で生み出した価値はどこかの誰かによってその上澄みが掠め取られ、
霊的次元にあるタックス・ヘイブンに収められ、
私たちの知らぬ間に誰かのためだけに運用されていたのだ。
このことに気づくことが何よりも重要だ。
そこに気がつくことが、まさに「覚醒」であり「開眼」となる。
「覚醒」、そして「開眼」とは、
三次元物質世界と多次元想念意識世界の接続再開を意味する。
接続の再開がなされれば、それは両者の均衡への急速な回復がなされる。
これまでずっと「巨大な壁」として立ちはだかってきた「鏡」が、
両領域を自在に行き来し均衡を図るための自由の翼となる。
私たちがずっと見てきたもの、そして恐れてきたもの――それは「壁」じゃなかった。
そこにあったのは硬いレンガではなく透き通ったプリズムだった。
それは私たちをあらゆるものから自由にさせる翼であり、
三次元と多次元のシンクロ率100%をもたらす「ゲート」だったのだ。
「ゲート」とは「入り口」であり同時に「出口」でもある。
私たちが、そんなゲートの再認識と再獲得を果たしたのであれば、
これまで封印されてきた「自分の人生を自由に思い描き、それを実現させる」という、
魔法のようでありながら、しかしじつは当たり前のことが当たり前にできるようになる。
すると、それはフラクタルに三次元の私たちの生きる環境に波及する。
この波及の突端のことを「インフルエンサーのインセプション」と呼ぶ。
個々人の夢が、この76億人の世界において何の不都合も齟齬もなく
同時に共存できるようになる。
――そう、つまり、この三次元物質世界も多次元想念意識世界の一部だったのだ!!
――「壁」などどこにもなかった。
「壁」は打ち壊すために、叩き割るためにあったのではなかった。
いやいや、そんな「壁」自体がそもそも存在していなかった。
私たちはそれをずっと「壁」だと思い込まされていただけだったのだ。
あったのは、キラキラ輝く、グミか液体か霧かプラズマかわからないが透き通った「鏡」だった。
私たちが「鏡」を回復させたなら、その瞬間、直ちに「波及」が再開される。
すると、この三次元世界を左右に分断し、両者に分断し、
不毛な闘いを強いてきた者たちの姿が浮き彫りとなり見えてくる。
「あなたは右?それとも左?どっちを選びますか?」などと人を騙してきた嘘が、
自らの嘘を嘘だと主張してくるのが手に取るようにわかるようになる。
「ひとつ」との接続を禁じられていた「ひとり」は、右か左か?で生涯悩まされてきた。
私たちが選択したかったのは右でも左でもなく「下」にあった。
ずっと封印され、禁じられ、隠され、伏在させられ、忘れさせられてきた「下」の領域。
すでに、2年前の2017年1月20日に、この地球世界は「ポール・シフト」した(していた)。
誰も気がつかなかったし、私も気がつかなかった。
ポール・シフトが起こったことに気がついたのは、つい先日、昨年9月半ばのことだった。
これまでの「ニセモノAとニセモノBどちらを選びますか?」の世界はもうとっくに終わっていた。
ポール・シフトしたこれからの世界には
「本物とニセモノがあるけど、
どちらを選択しますか?」となった。
つまり、ニセモノが存在し得ない世界へと、もうすでにシフトしてしまった。
本物を封印してきた「壁」はもう消滅したのだ。
ニセモノが躍起になっていたこととは、「世の中をすべてニセモノで満たすこと」だ。
本物さえいなければ、この世界は俺たちの好き勝手にできる最高の世の中となるからだ。
明治維新以降の日本において、為政者はこの日本をニセモノで満たすことに傾注した。
すべての「本物」を駆逐し、追い出し、葬り、封印した。
そして「事実」を改竄し、隠蔽し、破棄し、捏造し、歴史をも書き換えていった。
しかし、そのような時代はもう終わった。
ポール・シフトした世界では捏造も改竄も隠蔽も通用しない。
本物というものの圧倒的な力の前に、ニセモノはただ逃げるしか道はない。
だから、“彼ら”は逃げ足だけはアスリート並みのスピードを持っている。
本物が何かをするとかではない。
本物がそこにただ現れただけで、“彼ら”は一目散に逃亡する。
モノマネ芸人が本物を装って世を席巻したが、そこにご本人が登場した途端、
恐縮した素振りを見せながら笑いながら誤魔化し、
気づいたら逃亡していなくなっているという状態だ。
観客、聴衆はその時はじめて気がつく。
「あれ?」と。
「今まで見てきた人は何だったの?」と。
「今思えば、あんなのを本物だと私たち思い込んでいたのね」と。
「今までは気がつかなかったけど、本物を見て初めてニセモノのニセモノ性に
気がついた。気づけてよかった」と。
ニセモノを本物と思わされ、半分眠らされ、苦役を強いられてきた己に気づく。
そこでこう言う―――「聞いてなかった」「知らなかった」――と。
しかし、それは些かなかなか通用しない。
今、日本は問い質されているのだ。
「日本さん、本物になりますか?それともこれまで通りニセモノのままやるつもりですか?」と。
しかし先ほど私は次のように言いました――、
「ニセモノが存在し得ない世界へと、もうすでにシフトしてしまった」――と。
ならば、日本は今までのやり方を選択するならばもうすでに存在し得ない状況となった。
アメリカから責められ、中国から責められ、韓国から責められ、ロシアから責められ、
北朝鮮からも責められ、フランスからも責められている状況をもってしても、
日本は「日本だけが正しく日本以外がすべて悪い」と思っている(思い込んでいる)。
これはまさに冒頭に書いた「自分以外すべてが敵だ」の状態だ。
これだど日本は再び焼け野原になってしまう。
世界はすでに「本物かニセモノか」にシフトしてしまったのだ。
日本だけが、これまでのニセモノで押し通そうと強弁をふるっている。
対外的には「本物の見解」に頷き、しかし国内向けには嘘を拡散する。
この「建前」は日本をガン化させる。
多次元世界とまったく均衡していない三次元の建前のみの日本。
しかし、このようなな状態もあとわずか。
早晩、日本も三次元物質世界(建前)と、多次元想念意識世界(本音)が均衡する。
すべては多次元世界での霊的なポール・シフトによって、
ラストシーンはもう決まってしまっているのだ。
世界を司る主軸が90度(180度ではない)シフトしちゃったのだ。
ならば、日本の意志とは無関係に日本は強制的に均衡状態へと持っていかれる。
だから、今、世界で一番アブナイのがこの日本であるということを認識しなければならない。
しかし、その均衡をもたらす急先鋒はなんとこの日本に存在しているということ。
そのあらまし、構造、メカニズムを理解できる素養がこの日本の一部にあること。
この両極端さこそが本来の日本の持っている不可思議さである。
さあ、その均衡を図る作用が「アラハバキ」である。
究極の物質世界と究極の霊性の世界が均衡を求めている。
そんな両者の均衡のことを「半霊半物質」という。
そして、そのアラハバキのインフルエンサーのインセプションとして機能するのが、
救世主「Redeemer」である。
「ひとり」の世界に埋没した状態で「日本すごい!」は意味をなさない。
「ひとり」と「ひとつ」が均衡して初めて日本の特異性が際立ってくるのだ。
そうなったときに、あなたの口からはもはや「日本すごい」などという、
短絡的な言葉は吐いてでないはずだ。
言葉では言い表すことのできないくらいのミラクルがそこにはあるのです。
これらを踏まえ、考慮しながら最新時事情報も絡めて名古屋講演会でお話しいたします。
まさにド・スピリチュアルとリアルガチの融合にてお話ししたいと思います。
ぜひみなさん、お誘いあわせの上、ご出席ください!!
澤野大樹
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【日時】2019年2月17日(日)
【時間】 開場13:30 開演14:00~17:30頃まで。
【会場】栄メンバーズオフィスビル 10Fセミナー室F
    愛知県名古屋市中区栄4丁目16-8
【参加費用】 5,000円 (当日、会場受付でお支払いください)
【募集人数】 36名
【懇親会】 参加希望の方は申し込みの際にお願いします。
    (3,000円前後で予定しています)
【主催】 小笠原由明/平野栄子
【申込み】※ご参加希望の方は、こちら↓の問い合わせよりご予約をお願いします。
【ホームページ】 http://www.nagoya-shizenkeitai.jp/
※お申し込みはホームページのお問い合わせ又はメッセンジャーからお願いします。
※懇親会希望の方はご予約時に「参加・不参加」をお伝えください。
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投稿者: 澤野大樹

情報誌INTUITION の執筆者です。 2018年で創刊22周年となりました。